『宗鏡録』永明延寿
・一心が宗(おおもと)であり、それはあたかも鏡のようにあらゆものを映し出す。古の教説という宝の蔵から深く円かな言葉をあまねく集め、等しくここに記してそれを明かす。そこでこの書を「録」と言うのだ。
・端的にいえば『宗鏡録』の主旨はふたつである。ひとつめは頓悟しておおもとを知ること、ふたつめは円修して為すべきことを為すことである。
・優れた師や仏道を志す友に遭って正しい教えを聞くのは非常に得難いことである。
・経典や人の説示により悟るところがあれば、それはみな自身の師である。ましてやこの『宗鏡録』は(仏典の)要約のみを収録したものだ。家から一歩も出ることなく天下のことを知り、足を動かすことなく竜宮に至れよう。(『宗鏡録』を読むだけで仏教の深奥に達することが出来るだろう)
・わが『宗鏡録』はただ最上根の人のために編まれたものであり。それ以外の者を対象としていない。その目的はひとえに、仏の系譜を存続させることにある。これまで聞いたことのない素晴らしい教えを読者に開示し、(その教えを残してくれた)仏の恩に報い、その思いに応えさせるのだ。
・もしも既に(最上根のレベルに)達している者であれば、仏の意によって印可しよう。もしも(その境涯に)未だ至っていない者であれば、仏説を用いて(最上根に導き)悟らせよう。
・この『宗鏡録』は、仏教徒であれ異教徒であれ、賢い者であれ愚かな者であれ、ただ見聞きし信じさえすれば、みな例外なく一心を頓悟し、理(ダルマ、仏心)と事(仏の行い)を共に兼ね備えることだろう。
・後世に仏縁を得てこの『宗鏡録』に出会った心ある者は、昼夜を問わず本書を紐解き熱心に読み進めてほしい。悟りを得るまで(何度も読み返し)、決して途中で疲れたと言っ(て投げ出し)たりしないように。
・本書『宗鏡録』は一心という本性を明かすものであり、立場の分類や経典の判釈を行うものではない。ただ一心のみを提示し看取させ、頓悟円修(という最高の境涯)へと導くのだ。
・了義の教えも不了義の教えもみな了義なのだと。なぜなら(仏教の本質は)ただ一心だけだからである。そので次のように言うのだ「(一心を見抜く)円満な機根の者が仏説を看れば、すべては(一心を説示する)円かな教えだと分かるだろう」と。
・一瞬のうちに根源(一心)に立ち返り、釈尊の後を継いで仏となり、一念一念つねに衆生済度を忘れず、一歩一歩つねに真理と相応する。このような最高かつ本来の境涯に至るには、宗鏡こそが要である。
・森羅万象はみな一様に仏の名を明かすものは一つたりとも存在しない。巌の木や庭のはすまげは無限の素晴らしい悟りの世界を指し示し、猿の鳴き声や鳥のさえずりはみな仏と同じように絶対の真理を説き明かしている。(『唯心訣』)
・大地を的として矢を射れば百発百中で外れることがないように、心を観る者からすれば眼前のものはみな例外なく心であり。わずかたりとも隔たることはない。(『註心賦』)