アーカイブ:2026年

弥勒の唯識

弥勒菩薩が無著に伝えた唯識の教えに依れば、私達の心の本性は真如・法界であり、虚空の様に全宇宙に遍満しているのだと云います。それ即ち大生命です。

魚が水から離れて存在しない様に、鳥が空から離れて存在しない様に、一切衆生は大生命から離れて存在していません。

大生命に目覚めるには、輪廻の主体である一切種子識(阿頼耶識)を止滅させ、「見るもの/見られるもの」の二元対立を超えた真如・法界に参入する必要があります。

それを今生のうちに実現する道が禪です。

合掌 無為

原初の「禪」へ

原初期の禪の実像については、今まで多くの事が謎に包まれており、宗門においても達磨大面壁九年などの逸話が伝説として語り継がれるのみでした。ダルマの語録『二入四行論』や、ダルマが慧可に託したとされる四巻『楞伽経』も、専門道場で取り扱われることはありません。

しかし、それらの語録や経典などを紐解いていくと、禪の本質に直接繋がる重要な鍵が隠されています。例えば、チベットのゾクチェンやマハームドラーと共通する修行の方法論、「不立文字」の元となった言葉、頓悟と漸悟の可能性、更には意生身や如幻三昧身など後期密教で扱われる領域に関する言及も見られます。『楞伽経』は、『究竟一乗宝性論』などにある如来蔵思想やマイトレーヤの唯識がベースとなっていますが、中観派の教えとも矛盾することなく、高度に統合されています。

最近では敦煌文献の研究も進んでおり、禪に対するイメージや歴史が覆る様な発見もある様です。秘されていた真実が表に現れくる時代かもしれません。またそれに呼応するかの様に、ダルマを希求する方々が此のサンガに集ってこられています。新たな時代の幕開けです。

合掌 無為

無常と永遠

アーリヤデーヴァ(禪の第十五祖 迦那提婆尊者)の『四百論』に「汝が、過ぎ去った時は短いが未来は違うと見るなら、汝は等しいものを等しくないと考えている」とあります。過ぎた過去があっという間に感じる様に、これから来たる未来も同様にあっという間に過ぎてしまうものです。「少年老い易く学成り難し」。人生の根底には無常という真実の厳しさがあります。

禅の道場には、音で時刻を知らせる工夫があり、その一つに打板があります。禅堂の外に板木が掛けてあり、それを木槌で叩いて、時を知らせるのです。その板木には「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」と書かれています。修行者に、無常の自覚を促し、策励する意味があります。無常を自覚し、生死を越えることを禪は修行の眼目としています。

釈尊は初転法輪で「耳ある者どもに不死の門が開かれた」と説きました。生じたものではない「不生なるもの」に目覚めるように仏陀は人々を導いたのですが、大乗仏教ではそれを常住不変の「仏性」や「如来蔵」という言葉で表現しています。禅の修行者は、この儚き無常の人生の中で、「歴刧無名の這箇」、つまり指をさすことも名付けることも出来ない〈永遠に知られざるもの〉を探求するのです。

合掌
無為

令和八年元旦に

新年明けましておめでとうございます。参禅者の皆様におかれましては、仏天の御加護のもと、益々御精進のうちに令和八年丙午歳をお迎えになられましたこと、法幸至極に存じます。

私達は皆ひとつに繋がって存在しています。人類の大転換期と言われる今の時代に、佛道を歩まれていることは、一個人の修行の為というだけではなく、世界にとっても大きな奉仕となり得ることです。

スピリチュアルな分野でも自我の不安を煽りながら利己主義に傾かせるものが増えてまいりました。しかしながら、発心が正しくなければ、そのスピリチュアルな歩みの先には、魔道に堕ちる可能性があります。佛道を歩む上で最も大切なのは菩提心です。参禅をされる皆様には、どの様な状況下においても、絶えず菩提心の炎を燃やし続けて頂きたいと願います。この一年も、全ての存在に功徳が巡らん事を祈りながら、共にダルマの道を歩んでまいりましょう。

皆様のご健勝と佛道の成就を心から祈念致しております。

合掌 無為

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《禅〜意識の真源に帰る旅〜》

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