アーカイブ:2025年10月

摂了

今年も仏天神祇の大いなる御加護のもと、雪安居入制大摂心を無事に円成することができました。

参禪なさった皆さまには、雪を担いで河を埋むが如く、坐禪専一に取り組んでいただきました。その純粋なエネルギーはサンガに満ち、長年の修行の成果が華開きつつある方も多く、素晴らしい摂心となりました。

華の開く時機は人それぞれに異なりますが、正しい修行を相続し続ければ、必ずや華は開くものです。今回の摂心での皆さまの気づきと成長は、それを静かに物語っておりました。

佛道に対する「信」が熟すまでには、人によっては紆余曲折があることでしょう。しかし、それらもまた欠くことのできない因果の一環です。自己に親しみ、ひとつひとつの歩みを大切に重ねていくことで、ある時ふと景色は変わり始めます。

さらに、日常生活における目の前の一挙手一投足こそダルマの実践の場であると、言葉ではなく体験で理解した時、「信」は自ずから備わってくるものです。「信」そのものとしての在り方は、修行者を守護し、導いてくれるものになってまいります。

どうか、ご自身に結ばれた法縁を深く信じ、大安心のうちに佛道の歩みを進めれますこと、心よりお祈り申し上げます。

合掌 無為

雪安居入制大摂心

いよいよ明日より「雪安居入制大摂心」が始まります。

これまで長年にわたり、忍耐と激動の道を歩んでこられた方には、今回の摂心は、まさに「新たな時代の扉が開かれていく」ような契機となることでしょう。

その「新たな時代」とは、外の世界が変わるということだけでなく、あらためて自己の本質と出逢い、それを生きていくことでもあります。

そして、摂心を終え、再び日常へと帰るとき、そこにはきっと「新たな世界」が広がっているはずです。

刻苦光明、必ず盛大なり。

どうぞ、仏道を信じ、本来仏である己を信じて、始終、揺るぎなき「菩提心」をもって坐っていただきたいと思います。

合掌

無為

面授

禅の伝統においては、師から弟子への「面授」こそが修行の核心とされています。面授とは、文字や言葉を超えた直接伝授であり、師が弟子と向き合い、沈黙と眼差し、存在をもって仏法を伝える行為です。
面授によってまず、弟子の奥底に潜む菩提心の火が点火され、内なる誓願が目覚めます。その目覚めを契機として、弟子は師が保持する深遠なる法脈のエネルギーに結ばれ、直指人心の導きによって仏心を自覚し、聖なる智慧の歩みを進めるのです。

ただし、この面授は外形的な模倣や知識の伝達では決して成り立ちません。真に師たる者と真に弟子たる者が、因縁熟して出会ったときにのみ現成する稀有な出来事なのです。

道元禅師は、師・如浄禅師からの面授を象徴的に表現しています。
「釈迦牟尼仏の仏面を礼拝したてまつり、釈迦牟尼仏の仏眼をわがまなこにうつしたてまつり、わがまなこを仏眼にうつしたてまつり、仏眼睛なり、仏面目なり」
道元禅師にとって、真の師と相見することはすなわち釈迦牟尼仏に相見することであり、面授とは時空を超えて仏と仏が相まみえる出来事であったのです。

禅の法脈は、この面授の法門によって保たれ、釈尊の「正法眼蔵」は決して途絶えることなく、今もなお現代に生き続けています。

合掌 無為