語録・経典3『黄檗山断際禅師伝心法要』

『黄檗山断際禅師伝心法要』裴休 

師休に謂って曰く、諸仏と一切衆生とは唯だ是れ一心にして、更に別法なし。此の心は無始より巳来、曾て生ぜず、曾て滅せず、青ならず黄ならず、形なく相なく、有無に属せず、新旧を計せず、長に非ず短に非ず、大に非ず小に非ず、一切の限量名言、蹤跡対待を超過して、当体便ち是、念を動ずれば即ち乖く。猶虚空の辺際あることなく、測度すべからざるが如し。唯だ此の一心、即ち是れ仏にして、仏と衆生とは更に別異なし。但だ是れ衆生は相に著して外に求め之を求むるに転た失す。仏をして仏を覓め、心を将って心を捉えしめば、劫を窮め形を尽くすも、終に得ること能わず。念を息め慮を亡ずれば、仏自ずから現前することを知らず。

師は私(裴休)に言われました。

あらゆる仏と、一切の衆生は、ただこの一心にほかならない。

この一心のほかに別のものは全くない。

この一心は始まりも無い始まりの頃よりこのかた、生じることもなく、滅することもなく、いかなる色もなく、姿形もなく、有るものでも無いものでもなく、新しくも古くもなく、長くもなく短くもなく、大きくも小さくもなく、計ることも表現することも出来ないし、その跡を捉えることも出来ない。

「それ」自身がそのまま「それ」なのだから、「それ」に向けて意識を動かそうとした瞬間に「それ」に背くこととなる。

それはいかなる枠にも収まらない「無限なる虚空」のようなものだ。

そう、この一心こそが仏であり、覚者も凡夫もその本質においては何も異ならない。

しかし、迷う人は姿形のように表面的なところにとらわれ、自分自身の外に真実を求めようとする。そうやって探せば探すほどに、仏から遠ざかっていく。

仏が仏を探し回り、心でもって心を捉えようとしているようなもの。

それでは永劫の果てまで修行をしたとしても、ついに本性に目覚めることはないだろう。

一切の思念をやめ思慮を忘ずるなら、仏の方自ら現れてくれることを知らないのだ。

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《禅〜意識の真源に帰る旅〜》

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