経典・語録6『禪友に与ふるの書』菩提心の事

菩提心の事 飯田トウ隠

禪をやるのなら、先ず菩提心を起こすが良い。菩提心がなければ、禪をやっても無駄だ。今の禪者に菩提心の名だに知らぬ者がある。十年労して一日の効なしじゃ。それは正師がなくて、聞かす者がないからじゃ。菩提心無き奴が、菩提心をきかす事出来るものではない。

菩提心の事をいうと、恐れてにげる。あまり事が大きいからだ。大きい事が小さい處にある事を知らぬ。ダイヤモンドは小さくても価値がある。この吾人のからだに、菩提心が充ちて居る。元来菩提心は生まれつきのもので、無くしようと思っても、無くする事の出来ぬものじゃ。是がなければ、人を止めねばならぬ。天性をもって生まれたものじゃ。それまでいうておかねば、驚くから前置きをしておくのだ。

菩提心とは、無上道を得て、宇宙を救い尽くすという事じゃ。サア驚いたろう。イヤ宇宙といえば、十五億万人どころではない。天の天蓋までも救う心じゃ。救われるのじゃ。救われるようになって居るのじゃ。いやも一つ切りつめていえば、現に救いつつある道理があるのじゃ。小さいからだに、大きな心じゃ。イナこのからだも、見ようによっては、実は小さくはないのだ。古人も「天地と我と同根、万物と我と一体なり」というた。是は古人が千辛万苦して考え出した不変の真理じゃ。釈迦は「有情非情同時成道」というた。成道とは成仏という事だ。成仏とは救いという事じゃ。是は救いつつあるという事じゃ。菩提心は目のあたり実行して居る事が、仏の目から見ると見えるのじゃ。有難い言葉じゃ。信ぜぬから、半文の価値がない。釈迦が十二年もの難行苦行に対して申し訳がない事じゃ。何故分からぬか。我というものがあるからじゃ。元来我は無いものじゃ。天地は一つのものじゃ。切ってもの切られぬ仲じゃ。皆我じゃ。大きな我じゃ。少し指の先に出来ものが出来ると、医者じゃ何じゃと騒ぎまわるではないか。此大きな天地の自己の休戚を忘れて、病気を益盛にするようなものじゃ。道理に合わぬ話じゃないか。百万の身代を棄てて百円の家を欲しがるようなものだ。そこで古人は

「天下の憂に先んじて憂、天下の楽の後に楽しむ」

というた。天下を我として居るからだ。兎に角、そう心得て禪に入るのが、道に親切な人というのじゃ。

菩提心とは無上道を得て、宇宙を救い尽くさずんば止まじという誓願、畢竟は天下の人と共に道を楽しむという事になる。そこで菩提心の要訣は、人々をして菩提心を記さしめるに勉むる事じゃ。救わるる人より、救うべき人となるのである。つまり誰にも此心を起さしむるのじゃ。先ず自ら菩提心を起こして、人にも起こさせる。起こせよと標本を示すのである。そうすると、兎に角、救いを以って自任する人となるのだ。心の持ちよう一つで、かかる高尚の身にもなるのじゃ。其身賎しといえども、世界的の人となったのだ。人格が具わってくる。自然と品位が備わって来る。貴人には頭をさげつつ其人を救うて居る。聞きよう、思いようによってこの様に違ってくる。有難い事じゃ。仏様や祖師方が、血の涙の御委嘱じゃ。この心を土台として、修行するのが正修行というのじゃ。

この心が無ければ、たとえ悟っても皆嘘じゃ。白隠も二十四歳の時に、痛快に悟ったが、菩提心が無かったから、魔の悟りになった。四十二歳の時まで、氣がつかなんだ。「我魔道に陥れり」というて懺悔して居る。今の修行者は、菩提心皆無じゃ。皆偽物じゃ。品位の賎しき事鼠の如しじゃ。やらぬ方が余っ程氣がきいて居る。それがわかったら、すぐにやれ。菩提心と勇猛心とは、離るる事の出来ぬものじゃ。古人曰。

「勇猛の衆生の為には、成仏一念に在り。懈怠の衆生の為には涅槃三祇に亙る」

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《禅〜意識の真源に帰る旅〜》

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